「半分、青い。」を直してみた。 〜私は北川悦吏子のドラマが好きだった〜

小学生の時、『素顔のままで』というドラマが大好きだった。
 
主人公2人の女性の関係性。
正反対の2人が一緒に暮らすことで癒えていく心の傷。
真摯に他者と向き合うことで知る、自分の姿。
 
・結婚が幸せのすべてじゃない
・女だけで子供を育ててもいいよね
・たとえば、君がいるだけで心が強くなること
・百合。百合は素晴らしい
 
など、間違いなく、現在の自分の価値観の一部を作ったドラマだった。
 
 
次々とヒットを飛ばし、恋愛の神様とも呼ばれた人。
90年代のドラマ好きなら、この人の書く脚本に「ぐあー!!」と悶絶したことは一度や二度ではないだろう。
 
 
そう、私は、北川悦吏子神の書くポエムと、えげつないほどこじれる恋愛模様と、力づくで視聴者の心をなぎ倒しに来るショッキング展開が好きだった。
 
 
そんな北川悦吏子神が、これまた私の大好きな朝ドラの脚本を担当すると聞いて、一抹の不安はよぎったけど(ここ数年は不評をだいぶ聞いたし、Twitterの神の御言葉も香ばしかったし)
 
 
それでも楽しみにしてたんだ、本当に。
 
 

…なんやねん、あれ。

 
 
言いたいことはたくさんあるし、細かい難点を挙げればキリがない。
でもとりあえず、
#半分青い反省会 や#半分白目 で言われていることを大きくまとめると、視聴者(特に、熱心な朝ドラクラスタ)を怒らせたのは以下の点ではないでしょうか。
 

1.仕事への敬意や真摯さがない

信念や生活上の必要に迫られたわけじゃないのにコロコロ職を変える人々。鈴愛、漫画家はどうした。メタな視点で見れば、秋風先生演じるトヨエツがくらもち先生の絵に手を加える演出もひどい。
後半だって、発明を舐めてんのか?津曲がしっかりした人に見えてしまうほど、鈴愛と律の見通しは甘く、一緒に居たいために仕事を言い訳にしているようにすら見える。
 
 

2.愛情に誠意が感じられない。

40年待ってたと律は言うが、いやいやいや。
お前、結婚してたろうが。嫁と息子はどうした。
「本当は好きな人がいたのに、別の人と結婚を…」は朝ドラの鉄板ではあるが、その場合、独身を貫くとか、恋愛感情はなくても配偶者を大切にするとか、何らかの筋を通さないと、視聴者は納得できまいよ。
 
不倫だから、既婚だから責められてるんじゃないよ。「カーネーション」の糸子も、「あさが来た」のあさも、ドラマ好きの視聴者から責められてないでしょう?
 
そもそも、朝ドラは細部が書き込める分、主人公たちが成長し、恋愛に責任や社会の重みが加わっていくところも見どころだったりするのだが、鈴愛と律は、それぞれの家庭を放り出し、ふわふわした恋愛感情をいつも吐露していた。
どうして鈴愛と律がそのように感じているのかがいつも描かれていないので(ふわっとしたポエムで濁されたりするので)、どこに共感していいのかがわからず、迷子になった視聴者がたくさんいただろう。
神は「考えるより感じろ!」とおっしゃりそうだが、Twitterなどで感想戦が盛んに行われる時代に「フィーリング重視」はそぐわない。何度議論の的になっても、その度に納得できるような内容が見たいんだ。
 
 
 

3.他者の痛みの取り扱いが雑。

鈴愛の難聴、おじいちゃんの戦争体験、ボクテの同性愛、かんちゃんのイジメ、そして震災。それら1つ1つが、フィクションで取り上げるかどうかのレベルから慎重に検討しなければならないものなのに、北川悦吏子神はドラマを盛り上げるネタとしてさっくり消費してしまう。
なるほど、神だからね!ちっちぇ人間ひとりひとりの痛み苦しみなんてどうでもいいよね!
 
宮藤官九郎さんが「あまちゃんで震災を描くにあたって逡巡したことの繊細さと比べると、北川悦吏子神の痛みの取り上げ方は、「盛り上げのための燃料投下」にしか見えない。
 

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宮藤官九郎の小部屋の中の引出しの三段目の日記帖 | 大人計画 OFFICIAL WEBSITE

  

神は他者の痛みの取り扱いが雑で、荒い。
それは、90年代の極端なメロドラマ大人気の流れの中では誤魔化せていた
むしろ、もてはやされていた。
 
今までも、堕胎、枕営業、三角関係、不倫、身体障害、近親相姦、様々なことを、北川悦吏子神は小道具や燃料に使ってきたが、どれもヒットドラマになった。
 
しかし、2010年代の流れの中では、痛みの取り扱いの雑さが目立つ。
目立つどころか、もはや暴力だ。
「悪気はなかったので、いじめてません」と悪びれずに先生に報告する、いじめっ子の態度そのものだ。
今は、他者の痛みをきちんと聴き、多様性を受容しようとするドラマが求められているんだ。
 
 
 
百歩譲って、鈴愛が漫画家になるところまではいいとして(ツッコミ出したらキリがないけど、私はなんとかそこまでは観れた。以降は流し見しかしてない)
 
鈴愛はスランプになり、一度失踪するものの、漫画に戻ってきたら良かったんじゃないかな…。
 
 
以下、

「ずっと北川悦吏子ドラマを観てきた私が勝手に期待していた『半分、青い。』」

のあらすじを書く。
神は陳腐だと言うだろう。
かまわん。
 
 
以前ほど売れなくなってしまった鈴愛に、律はプロポーズするものの、「今は漫画のことしか考えられない。ヒットが出るまで結婚は無理」と断られる。
律は「そうか、俺は鈴愛の仕事を尊重していなかった、結婚なんかじゃ鈴愛は救われないんだ…」と引き下がる。
律は鈴愛との連絡は切るが、そのまま独身でい続ける。
 
鈴愛は、出版不況もあって漫画がどんどん売れなくなり、仲間にアシスタントの仕事をまわしてもらいながら、なんとか食いつなぐ。(ユーコも漫画家辞めずに、セレブな結婚をしながら漫画家続けて、不憫な鈴愛をアシで雇ったりしたら良かったんじゃないかな。仕事か家庭かの二者択一なんて背負わせなくてよかったんだよ)
 
連絡の途絶えた律を思うたびに鈴愛は空虚感にとらわれるが、プロポーズを断ったことを覆すわけにはいかないと仕事に邁進する。
そんな中、一緒にアシスタントの仕事をした漫画家志望の男と意気投合し、空虚感を埋めるように勢いで結婚。(これが涼ちゃん)
 
実家経由の連絡で、間接的に鈴愛の結婚を見届けた律は、かねてから打診されていた東北の研究所への異動を受ける。
 
鈴愛と涼次は、売れなくても頑張ろうと誓い合うが、プロデビューした涼次はあれよあれよという間に大ヒット作家に。(祥平さんは、涼次を見出した敏腕編集者で登場。涼次と二人三脚でヒット作を生み出す。鈴愛は2人の関係性にも嫉妬する。3オバとの関係は原典ママ)
鈴愛は妊娠・出産し、子育てと仕事の両立がうまくいかず、ますます気落ちする。
涼次ともケンカが絶えなくなり、「涼次の成功は自分を踏み台にしたからだ。涼次は子育てに協力的じゃない。私ばかり苦労している」と責めてしまう。
結局2人は離婚。鈴愛は漫画の仕事を辞め、岐阜へ帰る。
 
岐阜へ帰った鈴愛は実家の食堂を手伝いながら子育てする。
ここで花野がいじめられていることが発覚。鈴愛は、自分の都合で花野を振り回してきたことにやっと気づき、花野ときちんと向き合うことを決意する。(鈴愛のめちゃくちゃさはこういうところで発揮して、学校に乗り込んで、いじめっ子を殲滅しようとするぐらいのことがあってもよかったんじゃないかな)
その頃、萩尾家では和子の病気が発覚。東北勤務になっている律(独身)が毎週末、岐阜に帰ってくるようになる。
否応無しに会ってしまう鈴愛と律。
週一回だけだが、律と話すようになり、漫画への情熱が再び蘇っていく鈴愛。必然的に最接近していく。
花野も律になつき、徐々に明るさを取り戻す。
とうとう律は「プロポーズのやり直しはできないか」と訊くが、鈴愛は首を横にふる。
鈴愛にも律にも今はそれぞれ頑張らなければいけないことがある。2人はお互いが無邪気な子供ではなくなってしまったことをしみじみと感じる。
 
そのまま優しく時間が過ぎていくかのように思われたが、ある金曜日、東北で大地震が発生。律と連絡がつかなくなる。
いつもの週末なのに律が帰ってこない。
関東で漫画家を続けているボクテとユーコの協力もあり、鈴愛は律を探しに行こうとするが、そもそも交通が寸断されている。
週が明けて、大阪の本社から律の実家に入ってきた連絡は、律が研究所ごと津波に流されたという内容だった。
「私が先に逝くと思ったのに」と泣き崩れる和子を、鈴愛は「律は行方不明なだけだ、きっとどこかで生きてる」と励ます。
いつも通りの生活を続けようとする鈴愛。ボクテやユーコに物資を送ったりはするが、震災のニュースは全て消して見ようとしない。
しかし、ブッチャーが建設会社時代のツテを辿って東北まで確認に行った結果、わかったことは律の死だった。
 
鈴愛は「無邪気な子供に戻って、2度目のプロポーズを受ければよかった」と後悔する。
引きこもりがちになる鈴愛。
初夏、ようやく行われた律の葬式で、かつての仲間が全員揃うが、鈴愛は出てこない。
そこへ秋風先生からの手紙が届く(内容は原典ママ)
「嘘だ!夢見る力があったって律は帰ってこない!私の半分はなくなった!」と拒否する鈴愛。
だが、何か少し心が動く。
「東北へ行ってみよう」と正人に誘われ、承諾する。
 
律と同じ研究所の同僚で、生き残った人に律の話を聞く。
仮設住宅に案内される鈴愛と正人。
律が同僚たちを先に逃がそうとして、自分が逃げるのが後になってしまったことを聞き、「律は何も変わってない。小さい頃から、ずっと」と初めて笑う鈴愛。
だが、話が律の最期に差し掛かると堪えられなくなり、危ないからやめろと止める正人を振り切り、仮設住宅を飛び出して、海が見える場所へ行ってしまう。
海が見える高台に辿り着き、悲しみでうずくまる鈴愛。
その時、聞こえないはずの耳に、律の声が聞こえる。ハッとして見上げた鈴愛が目にしたのは、どこまでも高く美しい青空だった。
目を見ひらく鈴愛。
鈴愛のモノローグ「私の半分は青空になった」
そこで初めて、鈴愛は律を想って泣く。
 
探しにきた正人と律の同僚に支えられ、いったん仮設住宅に戻ってきた鈴愛。
そこで、仮設住宅に住む子供たちが、漫画を貸しあって楽しんでいる姿を見る。しかもその漫画は、涼次が描いたもの。
鈴愛は秋風先生の手紙にあった「夢見る力」を思い出す。
 
岐阜に帰ってきた鈴愛は、花野に相談する。
「お母さん、また漫画のお仕事してもいい?」
花野は「いいよ、だってお母さんの漫画面白いもん」と答える。
それから数ヶ月後。
鈴愛は東京で敏腕編集長となっている祥平に、丁寧な手紙と、漫画の原稿を送る。
原稿のタイトルは…「半分、青い。
(ここで星野源さんのテーマソング〜)
(最終週のタイトルはもちろん「夢見る力」)
 
(あ、津曲さんと恵子さんが出てこない世界線になった。律の元同僚や上司になってもらえばいいのかな?他、いろいろ細かいところは割愛) 
 
 
ちなみに、「昔の北川悦吏子は良かったんじゃないかなあ?たまたま朝ドラがダメだったんじゃないかなあ?」と、最近、『素顔のままで』を見返してみた。
 
 
あれ…?思ってたのと全然違う…。
 
 
こんなに臭かったっけ?こんなに雑だったっけ?
あれー?私が愛してきた、女2人の、繊細な、孤独と癒しの物語はどこへ???
 
…私が小学生だったから、気づかなかったのかもしれない。20年以上経て、記憶が美化されていたのかもしれない。
 
 
さようなら北川悦吏子
あなたはずっと、小学生の私にとっては神だった。
 
今もある意味、神だけどね!
ドラマの登場人物たちの人生を弄び、いたずらに痛めつける悪い神として。
 
 
やー、なんだか、平成の終わりを感じちゃう朝ドラでありました。
#半分青い反省会 や#半分白目 の民のみなさん、本当にお疲れ様でした。
「嫌なら見るな!」という意見もあったみたいだけど。
違うよね、「半分、青い。」は嫌いでも、朝ドラは大好きだから見続けたんだよね。わかるよ。
 

半分、青い。は嫌いでも、朝ドラのことは嫌いにならないでください!」

 
来週からの「まんぷく」が楽しみだね!