あなたは朝ドラにエールを送れますか ?

はじめに

 

『エール』は朝ドラ史上無いほどの,過酷な状況で制作されたドラマとなりました。脚本家さんの降板,重要な出演者の急逝,新型コロナによる収録中断,そして放送休止……。収録が再開してからも,新型コロナの感染拡大に配慮しながらの制作,さらに主要人物を失った上での物語進行とあっては,予定変更を余儀なくされた部分が沢山あったことでしょう。

このような中で半年クール分のドラマを作り続け,魅せ続けてくださった出演者・制作スタッフの皆様には,朝ドラ枠のファンとしてただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
長期間,本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

 

とはいえ。

 

「過酷な中で頑張って制作してくださったんだから,物語として変だったところも全部大目に見ましょう ! 反省は一切無しで ! 」と視聴者が言ってしまうのは,日本を代表する企業のエンターテインメント創作物であるこの作品に対して,少々不誠実な態度なのではないかと思います。
新型コロナによって描けない部分が出てしまった……ということを差し引いても,Twitter等では今年も賛否がはっきり分かれていました。
出演者ならびに制作スタッフの皆様が頑張ってくださった部分とは全く別軸に,「『エール』において賛否が分かれたポイントは何だったのか。それは何故か」を整理しておくことが,これから更に朝ドラを楽しんでいくことに繋がると筆者は考えます。

 


というわけで今年も考えてみます。

 


『エール』で賛否が分かれたのは何故だったのでしょうか ?

 


本稿では,
●現在のAKとBKの特性の違い
●朝ドラの「型」だと「みんな」が思っているものは何か
ということを,明らかにした上で
●『エール』の何が賛否を分けたのか
を「みんな」が朝ドラの「型」だと思っているものをキーにして,考えていきたいと思います。

(最後の注釈コーナーで,本文に入りきらなかった内容をちょびっとおしゃべりもしておりますので,もしよろしければそちらもお楽しみください)

 

 

 

 

 現在のAKとBKの特性の違い


ここ数年は(もっと言うと2015年の『まれ』以降は)制作担当がAK(東京局)か,BK(大阪局)かによって,惹きつけるファン層が異なる傾向があります。特に2018年の『半分、青い。』以降は,Twitter上の感想グループを見ると,「主にAKの朝ドラを面白く感じる人」と「主にBKの朝ドラを面白く感じる人」がほぼ一貫して分かれていることがうかがえます。

NHK放送文化研究所(以下NHK文研)では,2017年度前期の『ひよっこ』と後期の『わろてんか』において

★「全体のストーリー展開や,結末がどうなるかを楽しみたい」に近い見方をした人…「長期視点派」
「日々のエピソードや,作品の雰囲気・登場人物を楽しみたい」に近い見方をした人…「短期視点派」
どちらとも言えない見方をした人…「中間派」

として分析しています。

視聴者は朝ドラ『ひよっこ』をどう見たか~柔軟に見方を変えて楽しむ視聴者~

視聴者は朝ドラ『わろてんか』をどう見たか~過半数の"まあ満足派"が支えた評価

 

これらの視点は,個人ごとに固定されたものではなく,全ての人の中にどちらもあり,本来は,柔軟に変えられる性質のものです。
ただ,現在のAKとBKは(企画書などで明確に意図されたものかどうかまでは一視聴者である筆者には分かりかねますが)「長期視点派」と「短期視点派」のどちらに視聴ターゲットを寄せるかが違っているのではないか,と考えます。

例えば,映像コンテンツの筋立てとは基本的に下記のような構成で制作されます。ここでは『シナリオライティングの黄金則』という本から図をお借ります。*1*2

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「映像コンテンツの筋立て(ストーリー)構造」(金子満『シナリオライティングの黄金則』p.197より)

 

 

この基本構成はAKとBKの朝ドラにおいても共通するものだと筆者は考えます。しかし,力を入れて描写している部分が異なると感じています。
昨年の記事でもふれたことをもう少し整理して述べます。

 

【AK:「短期視点派」に向けた『インスタ型』】


半年間を貫く,大きな物語(メインストーリー)よりも,各イベントごとの見せ場を重視していく方式です。

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<AK朝ドラの力点(水澤考)>



 

独立イベントの盛り上がりの繰り返しに力点があるため,何週間か視聴を逃したとしても,また新しいイベントの「起」から入れば楽しむことができる軽さが最大の長所です。感動するポイントが各イベントごとに明確に作られており,はるか何週も前の細かい描写を覚えていなくても,「今日,いまの瞬間」にきっちり感動させてくれる安心感があります。「短期視点派」の視聴者に非常に向いている作り方です。


また,登場人物の行動や物語の展開に一貫した根拠を求めず,「なんでそうなったかわからない」ことが起こること自体を楽しむあり方は,そもそもコメディドラマやコントのあり方でもあります。


ですが,それらの独立イベントにおいて見られるきらめき……例えば,俳優さんの素晴らしい演技,登場人物の愛くるしさ,面白い小ネタや素敵な小道具,美しい風景……それらは全て,「全体を貫く大きな物語(メインストーリー)が破綻せず,説得力を持って進行しているか」とは,別軸のものです。*3
むしろ,イベントにおける「見せ場」を盛り込めば盛り込むほど,「全体を貫く大きな物語」を収束させる難易度は上がります。


さらに,独立イベントが強いために,「全体を貫く大きな物語」は飛び飛びの展開になってしまい,作者が「全体を貫く大きな物語」を通して「本来伝えたかったこと」が弱くなります。全体を通して見たときに「なぜそのように展開したのか」の説得力が不足するため,それらの「繋ぎ方」に別解の余地が出てしまうことすらあります。
「全体を貫く大きな物語がなぜそのような展開をするのか」を重視して視聴している「長期視点派」の視聴者は,ここで批判せざるを得なくなってしまうのです。

Twitterでは,この層を「AKアンチ」と呼び,「アンチは何をやっても批判する」などと揶揄する向きもあります。

しかし,「長期視点派」の視聴者は,「全体を貫く大きな物語」の展開の説得力要素となる,時代考証に基づいた細部描写,各イベントの整合性,世界観の一貫性(演出の一貫性),主人公の人格設定の一貫性……などを重視して視聴しています。そのため,「短期視点派に向けた,各イベントの見せ場に力を入れている連続ドラマ」では,話が進めば進むほど「ありとあらゆる場面が,以前の内容との整合性を考えるとダメ場面にしか見えなくなるターン」が必ず来てしまい,称賛したくても称賛できないのです。*4

 


【BK:「長期視点派」に向けた『小説型』】

 

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<BK朝ドラの力点>(水澤考)



「短期視点派」に向けた『インスタ型』に対し,大きな物語の繋がり重視するのが「長期視点派」に向けた『小説型』です。『ゲゲゲの女房』で放送枠変更からの大改革を試みて以降のここ10年で,ライトな「朝ドラ」の呼び名が定着しましたが*5 , そもそもは「連続テレビ小説」として企画された,新聞小説を意識した,ラジオドラマに近い形態のドラマです。『小説型』の方がよりそちらの流れを汲んでいると言えるかもしれません。


『小説型』の朝ドラは,各イベントの「見せ場」の華やかさよりも「大きな物語がなぜそう展開するのか」の文脈の描写に力点があります。毎日見逃さず,積み重ねて観ることで説得力が増し,更に面白くなる仕掛けが沢山仕込まれています。


ですが,超ロングパスの伏線などが仕込まれているため,序盤では「今日のイベントがこれからどこに繋がるのか全くわからない回」が必ずあります。それが回収される数週間後,下手すると半年後をじっくり待って,観続けなければなりません。「なんだかよくわからないなあ」と思って序盤で一度視聴を離脱すると,中盤以降で視聴に戻って来た時には更に話がわからなくなってしまう,という短所があります。「長期視点派」は序盤の「なんだかよくわからないなあ」が終盤の「なるほど ! ここに繋がったのか !」になることを楽しみに待つことができますが,「短期視点派」はここで脱落してしまいます。


また,物語を破綻なく語ることを重視した結果,各イベントの視覚的な盛り上がりに欠けてしまうこともあります。「BK制作は地味。だから,朝から見ていて楽しくない」という感想を『まんぷく』でも『スカーレット』でも見かけましたが,それは大きな物語の進行に力点を置いたために生じたことだったのではないかと考えます。


『エール』は「短期視点派」に向けた『インスタ型』の傾向を持つ作品です。
昨年の『なつぞら』の時などは


AK派「観る者の心を揺さぶる伝説のアニメーターの魂が描かれてるだろ !  重箱の隅つつくな ! 感じろ !」
BK派「時代考証も細部描写も揃ってないのに魂の何が描けるってんだ ! 表層しか見てない ! 考察しろ ! 」


というような言い合いをTwitter上でよく見かけましたが,今年も同様のことが起こっていました。
しかし,作品の特性を見れば,両者の主張はどちらも正しいのです。

 

さて,「え,別に,AKとかBKとか関係なく,どちらも楽しく朝ドラ観ることができちゃってますけど…」という視聴者も沢山います。


NHK文研さんの言葉を借りるならば「作品ごとに柔軟に視聴スタイルを変える」「中間派」の視聴者で,両方楽しめているかたがたなのだと思います。

俳優さんの演技,登場人物の面白さ,小ネタや小道具,美しい風景など,「今日の場面」に感動させてもらえたことを毎回素直に受け止める「短期視点派」のスタイルと,「なんだか物語の筋がよくわからない」期間もじっくり待って,積み重なっていく文脈を読んで終盤の伏線回収の「スッキリ ! 」を味わう「長期視点派」のスタイルとを,作品ごとに切り替えて観ているのです。

 

「長期視点」と「短期視点」自体は,全ての人の中にどちらもあるものです。
とはいえ,「長期視点派」スタイルの強い人が「一貫性や整合性を気にせず,毎日新しい気持ちで楽しもう ! 」と切り替えるのも,「短期視点派」スタイルの強い人が「なんだか全然パッとしない日が続くけど我慢して観続けよう」と切り替えるのも,容易なことではありません。視聴スタイルとは,その人の価値観や人間観……これまでの人生で培ってきた「ものの見方」が凝縮されたものだからです。

「朝ドラはこっちの視点で観よう」と自分の中で無意識に固定している場合もあるかもしれません。
そのような様々な要因から,「その人がどのような視聴スタイルで朝ドラを観ているか」つまり,何を重視して朝ドラを楽しんでいるか,ということとの相性がどうしても出ます。それが今の朝ドラでは,「AK派・BK派」に分かれやすくなっているのです。*6

 

どの作品でも「各イベント」と「全体を貫く大きな物語」とのバランスが良い,という状態が,長年朝ドラを見続けているファンからすると理想的かもしれません。
しかし,コアな朝ドラ視聴者層の高齢化が進み*7,様々なインターネット配信の番組を沢山選んで観ることのできる今,より多種多様な視聴者にリーチし,朝ドラをとにかく観てもらおうと考えると,AKとBKで別方針で色々と模索してみるのがベストなのだと思います。

 

 

朝ドラの「型」だと「みんな」が思っているものは何か


朝ドラとは実は各作品でかなり行き当たりばったりに作られているもので,各プロデューサーの方針で決まるものだと,複数の制作スタッフさんが述べておられます。*8
実際に,朝の「連続テレビ小説」の形は,その長い歴史の中で何度も変化しています。*9


『「朝ドラ」一人勝ちの法則』の表紙帯では,朝ドラのメソッドを端的に「無駄に前向き」「故郷を捨てる」「戦争が物語を作る」と示していますが*10,例えば『ひよっこ』はそれらを全く使わない作品です。*11
かつてのNHKドラマ部内では「前向きヒロイン」「群像劇はダメ」「大きな物語にする」「不倫は絶対ダメ」「ヒロインが死ぬのもダメ」「芸能界の裏話はダメ」「片仮名タイトルはダメ」などの「朝ドラ勝利の方程式」が共有されていたそうですが*12,それも今の朝ドラでは殆ど打ち破り済みであることが,この10年ほどの朝ドラをご覧になっているかたならばピンと来るのではないかと思います(打ち破ってるのはだいたい『あまちゃん』と『カーネーション』ですね……)。


しかしそれでも,視聴者は「長期視点派」「短期視点派」「中間派」関係なく,それどころか朝ドラをよく観ていない人ですらも漠然と「朝ドラはこういうものだ」という型を感じています。


一方で,『エール』のドラマガイドPart1*13では,チーフ演出の吉田照幸氏が「誰も見たことがないドラマの表現に懸命にチャレンジ」したいとおっしゃっていました。実際『エール』には「今までの朝ドラで見たことがない」場面が沢山ありました。


朝ドラの「型」だと視聴者「みんな」が思っているものは何なのでしょうか。

 

本稿では,Twitter上で朝ドラの感想を述べる各タグを追った中で,賛否が分かれていたポイントを4つにまとめてみました。そこから,「みんな」が朝ドラの「型」をどのように感じているのかを,視聴者目線で考えていきたいと思います。

 

 

1.その作品は,「みんな」の生活のポジティブなペースメーカーとなっているか ?

 

朝ドラはその枠の性格から,視聴者の生活と切り離すことのできないものです。かつては家事に忙しい主婦をメイン視聴者として想定しており,橋田壽賀子先生が『おしん』を執筆する際に,家事をしながら,画面を見なくても聞いてわかる台詞回しに留意したことは,朝ドラファンにはよく知られたエピソードです。


共働き世帯の数が増えた現代でもその「機能」は変わらず,「朝ドラが終わったら家を出る」「朝ドラの時間内に化粧をする」など,朝ドラをペースメーカーとして「習慣視聴」している人は依然少なくありません。

そのため,「朝,明るい気持ちで送り出されたい」「化粧しながら見ているから,泣くような展開は嬉しくない」などの要望が出ます。


また,「強制視聴」とでも呼ぶべき視聴者層もいます。飲食店や公共交通機関の待合室,病院や介護施設の共有スペース,家のリビングなどで必ずかかっているため,好き嫌いにかかわらず必ず朝ドラが目に入る,という視聴者です。闘病中の患者さんが観ていることもあるそうです。*14

そうなると当然,「朝や昼休みに自然と目に入ってしまうものなのに,血みどろの映像やメロドラマは見たくない」「観るたびに気持ちが明るくなるものにしてほしい」という要望が出ます。


戦後しばらくは「戦争映像はつらいから出さないでくれ」という要望が多く,戦争映像を出すことができなかったそうですが*15,この「つらいから出さないで」は単なる個人の好みによる要望ではなく,戦争体験者のPTSDにも関わる要望だったのではないでしょうか。

ちなみに,戦争体験者が高齢化し朝ドラ視聴から離れていった今でも,戦争表現は観たくないとアンケートに答える人の方が多いです。*16

 

さらには,「朝ドラが周りの人との話題になるから観ている」という視聴者がいます。職場などで「朝ドラ」はコミュニケーションのネタとなっていたのです。『あまちゃん』がSNSを中心に社会現象となり,「SNSで朝ドラの感想を言って誰かと繋がる」というスタイルが定着して以降は,SNSも朝ドラを介したコミュニケーションの舞台となっています。


【一の型】朝ドラは,視聴者の生活を明るく支える「機能」と「効用」を持っていてほしい。(しかし,どんな「機能」と「効用」を望むかは視聴者それぞれの状況や立場で違うので,議論になる)

 

 

2.その作品を,「朝の大河ドラマ」と捉えるか否か ?


朝ドラで実在の人物を取り上げ,史実を取り扱う時,「『作り話』をするのをどこまで許し,どこからが許せないか」の判定が個人個人で違い,議論を呼びます。
例えば,同じ「徳川吉宗」を取り上げていても,大河ドラマ八代将軍吉宗』として楽しみたい人と,『暴れん坊将軍』として楽しみたい人では,フィクションの許容範囲が全く違ってくるでしょう。


朝ドラは,「テレビ番組が昔のような高視聴率が取れなくなった現代でも,視聴率20%をコンスタントにとれる,公共放送の看板ドラマ」です。


「だから,虚実の境界や史実の改変も,単なる面白至上主義に基づくものではなく,社会的影響をきちんと考えて,守るべきラインを持っていて欲しい」と考える人は,朝ドラを,大河ドラマ八代将軍吉宗』のように捉えている人です。


一方で「沢山の視聴者が『作り話』だと了解して,朝を明るくしてほしいと思って観ているのだから,実在の人物や史実は原案程度に考え,どんどん創作してほしい」と考える人は,朝ドラを,『暴れん坊将軍』のように捉えている人です。


そのような視聴者の多様さを反映してなのか,朝ドラにおいて史実とどのぐらいの距離をとるかの方針は,制作チームの考え方に一任されており,それにより作品ごとに史実との距離にブレが出ています。

 

とはいえ,史実を扱うときに絶対に史実を歪めてはいけない箇所はあります。
それは,人の死や痛み,苦しみに関わる部分です。差別,戦争,災害,政治制度やその時代特有の規範などを変更すると「なぜその人がその時代につらい思いをしたのか」を誠実に描くことができなくなり,大きな物語の説得力が無くなります。


また,人の死や痛み,苦しみに関わる部分でなくても,脚色がモデルとなった方にご迷惑をかけることもあります。

 

1997年度前期AK制作の『あぐり』の時には,主人公あぐりの一番弟子のモデルとなったかたが,「実際は普通に弟子入りしたのに,ドラマでは家出娘になっていて,テレビの前でびっくりしてしまった」「そうとは知らず,友人知人に,自分が出るから見てねと気軽に言ってしまったので,あれは作り話だと訂正するのが大変だった」とインタビューに答えておられました。

笑い話にしてはおられましたが,「女性は貞淑であるべきだ」という意識が強い時代に育ったかたが家出娘にされてしまうのは,不名誉なことだったのです。*17


朝ドラで取り上げる実在の人物は,モデルとなったかたやそのご家族が,現在もお元気で活躍されていることも少なくありません。実在の人物を取り上げ,「作り話」と「史実」の境界を曖昧にした描き方をしてしまうということは,モデルとなったかたやそのご家族に迷惑をかけたり,名誉を傷つけたりする可能性があるということです。
「作り話だってみんなわかってるんだから何やってもいいでしょ。誰も困らないんだし」に絶対にならない箇所はあるのです。


【二の型】朝ドラは,「史実」との間に適切な距離を持っていてほしい。(だが「史実」との距離をどのようにするかは,朝ドラ枠全体として決まっているわけではため,制作者や視聴者ごとに基準が大きく異なり,議論になる)

 

 

 

3.その作品は,現代人が抱えている課題に真摯に向き合っているか ?


第6作『おはなはん』以降,朝ドラは女の一代記という路線を強く保ってきました。*18それは,当時の専業主婦の「もっと頑張って社会に出たかった」「もっと自立したかった」という願いを掬い上げたものだったそうです。*19この路線で制作された作品の一つの頂点が第31作『おしん』で,橋田壽賀子先生がこの作品を「日本のお母さんたちへの鎮魂歌」と語っているのはとても有名な話です。*20


一方で,『ロマンス』,『走らんか!』のように男性の成長物語を描くこともあれば,『君の名は』のように既存の物語を改変してまで「すれ違いながら向き合おうとする2人」を描いた作品,『青春家族』『てるてる家族』のように「家族のありかた」に取り組んだ作品,『私の青空』のようにシビアな現実の中で懸命に生きるシングルマザーに焦点を当てた作品もあります。
しかしどの作品にも言えることは,単なる面白主義ではなく,その時代時代で,誰かが抱えている「痛み」「悩み」「願い」をドラマの課題として掬い上げようとしていることです。


主人公に感情移入してもしなくても,視聴した後でちょっとスッキリした気持ちで日常に戻れるような役割を,朝ドラはこれまでずっと果たしてきましたし,今もなおその役割を求められていると筆者は考えます。


朝ドラの明るさは,単に「愉快な人たちが賑やかに楽しく過ごしている」ということにとどまらず,現代人が人生の中で「課題」として抱えていることをきちんと取り上げ,真摯に向き合っていることからも生じているのです。


近年は,偉業を成し遂げた著名な人ではなく,一般人として生活している人を主人公に取り上げようという方向性があります。それもまた,今までならばドラマの主人公にふさわしくないとされてしまっていた「誰か」が抱えている「痛み」「悩み」「願い」を掬い上げようとしているからなのだと思います。


2019年に行われたNHK文研のシンポジウムでは「マイノリティーが主人公の朝ドラ」や「男性の生きづらさを描いた朝ドラ」などを期待する声が上がっていました。*21

 

【三の型】朝ドラは,現代人が人生の中で「課題」として抱えていることを取り上げ,真摯に向き合ってほしい。(しかし,どのような向き合い方をもって真摯だと感じるかは視聴者それぞれ違うので,議論になる)

 

 

4.その作品は,これまでの朝ドラ作品をふまえて描かれた作品であるか ?


NHK朝ドラ研の資料によれば,「どの作品がスタンダードな朝ドラか」を質問すると,ある一定年齢層までは『おしん』がスタンダードだと感じている人が多いのに対し,それより上の年齢層になると『おしん』はスタンダードな朝ドラではないと答えるそうです。

また,若い世代では『半分、青い。』がスタンダードだと答える人も多いそうです。

「その人にとって印象深かった朝ドラ」が,視聴者一人一人の心の中で「朝ドラの型」となっているようです。*22

 

ではその「印象深さ」はどこから来るのでしょうか。
私は,物語の「語り方」から来るものではないかと考えます。
朝ドラに厳密なフォーマットはありませんが,どのような登場人物が配置され,どのような試練が起こるのか,どのような舞台を使うのか……は大まかに決まっています。*23

 

その決まりごとをおさえた上で,制作チームが「何を一番に大切にしたら,視聴者の楽しい朝の時間を作れるか」を検討し,題材の取り扱いや表現の取捨選択に苦心し,工夫した結果,その作品固有の「語り方」ができます。
視聴者の視聴スタイルとの相性の傾向で「AK」「BK」にざっくり分けることができるという話を前章でしましたが,さらにそこに,作品固有の「語り方」に対する「良し悪し」「好き嫌い」が掛け算されるのです。

「ここ数年のAKの作品は好きじゃないけど,『ひよっこ』は別。岡田先生の作品,大好き ! 」「『スカーレット』は個人的に好みの作品ではないが,とてもよくできたドラマだった」のような意見が出るのはそういうところからです。

 

つまり「これが新しい朝ドラの表現です ! 」と出すには,以前の作品で同様の題材がどのような「語り方」をなされていたか,をふまえる必要があるのです。そうでないと「その題材の描き方なら,〇〇の方が秀逸だった」「全然新しくないじゃん,それ,やったことがあるよ」と,視聴者それぞれの心の中にある「朝ドラ」から,厳しい指摘が来てしまいます。


「そういうことを言うのは,朝ドラを長年観ている視聴者でしょ ! その視点が小姑っぽいのよ !」というご意見については,全くその通りだなと,筆者も反省を込めて思います。


ただ,朝ドラには「都度都度消費される,娯楽ドラマ(単なるコンテンツ)」という側面だけではなく,「今までに蓄積されてきた表現や様式の意義をふまえて,より新しい表現を模索していく,伝統のあるドラマ(歴史に残る作品)」という側面があるのだということは日々感じます。(それが新しい挑戦の妨げとなることもあるでしょうが……)

 


【四の型】朝ドラは,これまでの朝ドラでの物語の「語り方」をふまえて,新しい「語り方」を模索してほしい。(しかし,何を新しい「語り方」と感じるかは,視聴者それぞれの朝ドラ歴や「語り方」の好みが関係してくるので,議論になる)

 


以上のことをふまえて,『エール』を見ていきましょう。

 

 

『エール』の何が賛否を分けたのか ~朝ドラの「型」だと考えられるものをふまえて~

 

【一の型】『エール』は,視聴者の生活を明るく支える「機能」と「効用」を持っていたか ?

 

『エール』は各イベント重視の構成,週ごとに誰が主役でどんな課題を抱えているかが明確で解決して完結する作り,コント仕立てで基本的に明るいノリを持っていました。それらは,仕事などで忙しい中でライトに観る人を対象とし,一度視聴離脱した人が戻って来る時のハードルを上げないやり方としては最適だったと思います。


視聴者の離脱の要因にもなりうる,直接的な戦場の描写を入れたことについても,「ポジティブな意見にしろネガティブな意見にしろ,SNSなどでみんなが話題に取り上げ,盛り上がる」という効用は果たせていました。
その意味では「新しい朝ドラ表現を行えた」と言えるでしょう。


……それが視聴者の生活を「明るく」支えることに繋がっていたかどうかは,個人個人の好みによるところが大きいですが……。


本当に良かったのかどうかについては,NHKがまとめる「月刊みなさまの声」(朝ドラ終了後に,寄せられた視聴者意見のまとめが出ます)*24NHK文研の研究分析結果を待ちたいと思います。

 

 

【二の型】『エール』は,「史実」との間に適切な距離を持っていたか ?


当たり前と言えば当たり前のことなのかもしれませんが,NHKには,様々なトピックごとにまとまった時代考証用の書籍資料や膨大な映像資料があるそうです。例えば「昭和のバー」などを美術セットとして作る時には,十分に調べる体制が整っているとのこと。*25


しかし,『エール』においては,観ていて年代がわからなくなる,という意見がどのタグでも上がっていました。その当時には絶対に使われていない言葉が使われている,良くも悪くも昭和時代に蔓延していた価値観や常識が出てこないなどの状況が頻発していたからです。歴史的な事件に関わることついても様々な「引っかかり」が指摘されていました。インパールでの戦闘はあのような展開をしていない,慰問の裕一が前線に出るのは御都合主義すぎる改変ではないのか,裕而さんの作曲の苦悩を踏まえた裕一の制作プロセスとはならないのか,などなど…(筆者は,自分の実家が農地改革時に地主だった側なので,久志の「家屋敷まで国に取られて一家離散」のエピソードで「えー,違うよ!」と引っかかってしまいました)
それら全てを「おはなし」としての『エール』のあり方はこれで良いのだ,むしろこれこそが新しい朝ドラだ ! と受け止められた視聴者は楽しめたでしょう。


しかし,批判した視聴者も,全く史実通りに描いて欲しいと思っているのではないでしょう。

 

全くの史実通りではドラマにする意味がありませんし,実際に起きたことをテレビサイズにするための「都合」が入ることも,ドラマファンであればよくわかっていることです。
史実を変えて「おはなし」を作るのはOKなのです。

しかしその際に,差別,戦争,災害,政治制度やその時代特有の規範などに関わる部分の改変には十分配慮し,実在の人物の名誉に関わるような部分には特に留意して,「おはなし」と「史実」の距離を守って欲しい……ということがまずあります。

 

制作側は「フィクションだと分かって見てるから大丈夫ですよね !」と,視聴者と合意がとれている前提だったのかもしれません。


ですが今のAK朝ドラでは,創作部分と史実部分がお互いに侵食しすぎてしまって境界があやふや,という状態になっています。


朝ドラは,実在の人物をモデルとする時に,「次の主役はこのかた ! こんな偉業を成し遂げたかっこいい人 ! みんな見てね ! 関連書籍やグッズも買ってね ! 」と,その人物の実績や権威,話題性を広告としてしっかり使います。しかし,実在の人物との関連を強くPRした割には「作り話なんで史実と違います ! 」と,偉業は出してもプロセスは描写しない,または,偉業自体を歪めてしまう……というようなバランスの悪さが生じた時にもまた,「史実との距離をきちんととってくれ」と言われてしまうのです。


先に述べた『インスタ型』の特性を鑑みれば,そうなってしまうのも無理のないことではあるのですが,「今年の朝ドラは,モデルとなった人はいるけど,基本的に『暴れん坊将軍』みたいなものなのね ! 了解 ! 」と視聴者(特に「長期視点派」の視聴者)により伝わるような工夫は必要なのだと思います。

 

『エール』の「おはなし」と「史実」との違いについては,作家・近現代史研究家の辻田真佐憲先生が丁寧な記事をずっと書き続けてくださっていました。

news.yahoo.co.jp


「おはなし」を補完して「史実」から切り離し,適切な距離をとる作業を,辻田先生がずっと担ってくださっていたと感じます。


「史実」と違うからといって「おはなし」にガッカリする必要はありません。「おはなし」が素晴らしい出来栄えであれば,「史実」を知れば知るほど,「こんなふうに史実を解釈して,素敵な物語にしてくださったのね ! 」と感動に繋がります。
「おはなし」と「史実」が適切に切り離され,双子のように似て非なる物語として独立することで,裕一さんの輝きも,裕而さんの輝きも,いっそう増すのです。

 

 

【三の型】『エール』は,現代人が人生の中で「課題」として抱えていることを取り上げ,真摯に向き合っていたか ?


『エール』が男性の物語を描こうとした朝ドラであることはよくわかります。
『エール』に登場する男性たちは,何らかの絶望や試練を経て,自分の内面と向き合い,家族や友人たちからヒントを得て自分のありようを見直し,更なる飛躍を遂げていきます。

男性たちの課題とその解決はきちんとシリアスなドラマとして描かれていました。(「長期視点派」が十分に納得できるような重層的な描かれ方ではありませんでしたが……)。


しかし,複数回の離婚経験者の昌子さんや仕事に勤しみすぎて職場の高齢独身者となった華の恋愛・結婚問題は面白おかしく描かれます。
Twitterでは「働く女性の恋愛・結婚は笑い話なの……?」という感想が多く見られました。
音の人生の描写も含め,女性側の課題の取り扱いが中途半端,あるいはお笑い視点すぎた,という感は否めません。


例えば,高齢独身女性を面白がって笑うような時代があったのは事実です。嘲笑する描写があるのもおかしくはありません。
問題は,作り手が「そういう価値観を良しとしない」と分かるようなフォローが同時に入っているかどうかです。昌子さんと華に対してそういうものはありませんでした。


描写されているのは昭和の価値観であるが,その表現をしている制作者はの価値観は令和版にアップデートされており,描写されていることの中にある問題点をきちんと把握している……という状態が望ましいのですが,『エール』では,人の痛みを嘲るような笑い方をすることの問題点に気づいていないのかな ? と感じさせる場面が散見されました。


コントのノリの朝ドラを作ろう ! というコンセプトは悪くなかったのですが,『エール』のコントノリは,登場人物の課題を嘲笑してしまう方へも働いてしまったため,課題の扱いに絡んで賛否が分かれたのです。

 

これを機に,「やっぱり朝ドラでお笑いはダメだ」となるのではなく,「令和の朝を明るくする笑いとはどんなものだろう?」という方向へ制作が向かってくれたらいいな,と一視聴者としては願います……。

 

 

【四の型】『エール』は,これまでの朝ドラでの物語の「語り方」をふまえて,新しい「語り方」を模索できていたか ?

 

『エール』は近年の『インスタ型』のAKの方向性にバッチリ合っているドラマだったと思います。

ですが……。


「エールは脇役の人生もちゃんと描く」ということを,チーフ演出・監督の吉田照幸氏はご自身のTwitterやインタビュー記事でおっしゃっていました。
そもそも,一番大きな柱となる主人公の人生を描くことと並走して,対立する人物の人生が描かれるのは,朝ドラの定番です。『あまちゃん』のアキに対するユイ。『あさが来た』のあさに対するお姉ちゃん……。


しかし,『インスタ型』の『エール』は,主人公の人生の物語に対立する人物の人生を並走させ絡ませる形式ではなく,各イベントごとに分けて見せる形式でした。後半でサブキャラクターの話が深掘りされた時に,新しいエピソードや設定が唐突に出てきました。「見えないところできっとこんな話があったのね」と脳内補完した視聴者もいましたが,「そんな設定,今まで出てなかったじゃない ! どうして最初から伏線として仕込んでおかないのよ ! 」という批判も出ました。


その点については,脚本家さんの降板,新型コロナ禍があったことを鑑みて,『エール』は「全体を貫く大きな物語」を構築する余裕が全く無かった,不遇な作品だったのではないか……というふうには感じます。


ですが,それでも,『エール』が各イベントに振り分けた様々なテーマをきちんと描き切れたかというと,やはり疑問が残ります。
例えば,文春オンラインの記事では,Twitterでの映画評等で知られるCDB氏が,日本人の戦争意識と絡めて『エール』評を述べておられます。

bunshun.jp

 

『エール』で描かれるのは「美しい文化を踏みにじる野蛮な軍部」ではなく,美しく繊細な文化,楽しい娯楽が戦争に加担し巻き込まれていくプロセスである。


しかし,『エール』を批判していた視聴者は「そのプロセスを描きたいことはわかるが,実際の作品の中では,独立イベントの連続で,プロセスが描けていないじゃないか」と批判していたのです。


CDB氏の心の中にある様々な「他作品の戦争描写」を想起させるだけのフックを,『エール』は持っていたのだと思います。ですが,『エール』が同様の問題を的確に取り上げ,描写できているかどうかとは関係がありませんし,論じられていません。

 

また,朝ドラの「鉄板ネタ」については,もう少し上手い使い方があったのではないか ? と思います。
例えば,裕一と音の父親たちの「幽霊ネタ」です。
登場人物が幽霊になって出てくる……という描写自体は,朝ドラでよく使われるものです。*26

 

ですが,その「面白表現」によって,登場人物の死の深刻さが薄れてしまう側面はありました。藤堂先生が亡くなった時に「また幽霊で出てきたらいいじゃん」という感想が出ていたことにそれは現れています。「死後もあの世で楽しく暮らせる世界観」と「救いのない,悲劇的で取り返しのつかない死」が整合しなかったのです。

 

カーネーション』では糸子の父親の幽霊がさりげなく登場しましたが,それは母親だけが見た幻だったのか,判明しない登場になっています。『まんぷく』では福子の姉の幽霊が度々登場しますが,母親の妄想や願望が姉の幽霊の形をとっているのだと分かる登場の仕方でした。「幽霊」がドラマの世界観を混乱させていないのです。


『エール』は,笑えるコントとシリアスな人間ドラマの両極をどちらも取り込もうとした意欲作ですが,それらをもっと大きな物語で整合させることには至れなかった……と言わざるを得ません。(ただしこれは,長期視点派の視聴目線で,短期視点派の視聴目線で見れば「全然OK」になるところです)

 

 

「新しい朝ドラ」とは何なのでしょうか。


かつて『鳩子の海』で林秀彦先生はヒロインの離婚問題を扱うことに挑戦されました。その問題を扱うことに難色を示した局側との様々な軋轢の末,一度,脚本担当から降板もされておられます。*27


『エール』が行った「新しさ」とは,『鳩子の海』のように「それまでの朝ドラで扱ったことのない題材を盛り込み,現代人の課題を浮き彫りにする」とか「全く登場したことのない主人公像を描く」ということではありません。大河ドラマが常に挑戦している「最新研究の史実を踏まえて,実在の人物の人生を新たな物語で鮮明に浮かび上がらせる」でもありません。


あくまで「今まで朝ドラの枠の性質から避けられていた映像表現を実現する」ことや「コントのノリを用いた笑いの表現を盛り込んでみる」という点での新しさのみに留まった,と筆者は考えます。


「今までやってない表現をやる。それがこれまでの朝ドラの暗黙の約束を破るものであってもやる」という意図や意志自体は全く批判されるようなものではありません。


しかし,もし「史実云々や難しいことを考えず,頭柔らかくして皆で観る娯楽超大作」にしたかったというのなら,むしろそういう作品だからこそ,視聴者のセンシティブな部分に触れる描写に配慮し,「史実」と「おはなし」の切り分けをきちんと行っていくことが必要だったと思います。

 

 

おわりに~あなたは朝ドラにエールを送れますか ?


本稿を書くにあたり,第1作『娘と私』からの,朝日新聞と読売新聞の読者欄に投稿された朝ドラ視聴者の感想を,時間の許す限り読みました。1作につき2,3件,多くても10件以下にとどまってしまいましたが,それでも,

 

「左利きの子役から右利きの娘役に代わって違和感。制作の配慮不足」
「舞台になった時代のリアリティーが足らず感情移入できない」
「主演が初々しく眩しいから良い」
「原作からのあの改変は納得がいかない」
「主人公たちが幸せにしてもらえて良かった」

 

などと,掲載紙上で散々やりあっている様子が読めました。


連続テレビ小説」に対する視聴者たちの態度は,今Twitterの「朝ドラ」タイムラインで見られるものと,全くそっくりなものでした。


朝ドラとは,出来が良かろうが悪かろうが,「みんな」とああでもないこうでもないと語り合い,時には賛否両論激突させながら,楽しむものだったのです。(特定のスポーツチームを長年応援している人にはよりピンとくるファンのあり方かもしれません)。

 

とはいえ,SNSによって朝ドラの感想を言い合える範囲が拡大し,手のひらのスマホで24時間いつでも「議論ができる」状態になってしまったのは,ファンの精神衛生的に良いことではありません。

 

本来ならば,作品に対する賛否がひとつのところに集まって,誰もが両論読めるのが,健全な批評の状態だと思います。

 

しかし朝ドラは,観る人の視聴スタイルを炙り出す構造を持ち,その人の生活習慣や社会における立場に触れ,今その人が悩んでいることにまで刺さってしまう可能性を持つドラマです。「推し」の俳優さんが主要キャストを務めている場合には,さらに思い入れは深くなるでしょう。
大激論にとどまらず,視聴者さん同士の罵倒や誹謗中傷にも発展し兼ねません……。(っていうか既に何度も起きちゃってるし)。

 

自分と違う立場の人の意見も思いやった「賛否両論」が公式のタグに一挙に並んで,その作品が盛り上がることが理想の状態なのだとは思いますが,なかなかそう上手くはいかないでしょう……。

 

「批判タグにいる人間は陰険だ」と今年も言われてしまいましたが,自分の意見の方向性に合ったタグに分かれて感想を話し合うようにすることは,お互いの精神衛生を守るためにも必要なことだと思います。(毎年例に出して恐縮ですが,『半分,青い。』のように,脚本家さんが直々に反論を言いに来て,トラブルに発展することもありますしね……)(でも,知り得る限りの朝ドラ関連タグを賛否両論毎日回遊していた筆者は,とても楽しかったです……RT,いいね,ブクマ,ご意見交換をさせて頂いた皆様,この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました)

 

「サンは森で,私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう。」

 


長い朝ドラの歴史の中では,「なんだこれー?! 」と視聴者が思うような作品があることも大切なことなのだと思います。そこでのトライアンドエラーがまた,未来の朝ドラの推進力になります。


「大好き」な作品も「大嫌い」な作品も,私たちは自由に楽しく朝ドラを語って良いのです。
「大好き」も「大嫌い」も,等しくエールとなって,明日の新しい朝ドラを作るのですから。

 

*1:金子満『シナリオライティングの黄金則』 2008年 ボーンデジタル 詳しい用語等の説明まではできないのでぜひ本書をお読みください ! と言いたいところなのですが,現在入手困難となっている一冊であるうえ,所蔵している図書館も限られているのですよね……でも,ご興味が湧いたかたはぜひ。

*2:2020/12/16追記:元の資料はハリウッド映画の筋立てを扱ったものなので,朝ドラの構成とは厳密には違う! という点については,今回の稿では詳細に差異と類似を述べるところまで届きませんでした。学びが追いついておらず大変申し訳ないのですが,また次回の宿題とさせてください……今回は「大まかな『おはなし全体の見せ方』の説明」として使わせて頂きます。

*3:沼田やすひろ 『「おもしろい」映画と「つまらない」映画の見分け方』 2011年 株式会社マッドハウス

*4:自分の好きなものを褒めたくても褒められないって,なかなかつらい状況だよね。つらいからというのもあって,「わたしのかんがえたさいきょうの朝ドラ」を思いついてしまう視聴者が多数現れるんじゃないかなと思う……。朝ドラは何十年も観続けている視聴者が多数存在し,自分の心に残っている作品の展開を当てはめて「なんとなく,朝ドラならばこういう展開をするだろう」と,「二次創作」が出来るようになっているファンが沢山いる枠なんだ。私が2018年に勢いだけで書いた「半青を直してみた」もこれに該当するなあ,と今は思います。

*5:ちなみに新聞記事のデータベースで検索すると,10年より前は「朝ドラ」ではなく「連続テレビ小説」で検索しないと,多くの記事が引っかからないんですよね…「朝ドラ」という呼称自体は1967年から存在するにもかかわらず。

*6:2020/12/16追記:まるでブルデューの『ディスタンクシオン』で述べられている「趣味」を通した「闘争」が起きているかのようです。Eテレさんの番組「100分de名著」の岸政彦先生による『ディスタンクシオン』の回が大変示唆に富んでいるのでぜひ。https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/104_distinction/index.html

*7:https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20190901_5.pdf

*8:田幸和歌子『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』太田出版 2014年

*9:https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/pdf/20200130_3.pdf

*10:指南役 『「朝ドラ」一人勝ちの法則』 2017年 光文社

*11:木俣冬 『みんなの朝ドラ』 講談社 2017年 指南役氏が明らかにした黄金メソッドは本当は7つあるのですが,表紙帯では3つにまとめられて示されており,岡田先生はその3つを指してお話ししておられるようでした。

*12:https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/pdf/20200130_3.pdf

*13:連続テレビ小説 エール Part1 NHKドラマ・ガイド NHK出版  2020年

*14:https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/pdf/20200130_3.pdf

*15:指南役 『「朝ドラ」一人勝ちの法則』 2017年 光文社

*16:https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/pdf/20180901_10.pdf

*17:97年夏以降の朝日新聞東京版掲載だと思うのだが,まだ元記事を見つけられていない。私以外にも「この記事を読んだ」という方がおられて,記憶している内容が一致しているので,私の妄想でないことは確かなのだが。このインタビューの記事を覚えていらっしゃる方がおられましたら,ぜひご一報ください。

*18:この辺の歴史については, NHKドラマ番組部 『朝ドラの55年』 NHK出版 2015年 木俣冬 『みんなの朝ドラ』 講談社 2017年 指南役 『「朝ドラ」一人勝ちの法則』 2017年 光文社 https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/pdf/20200130_3.pdf あたりを是非。

*19:https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/pdf/20200130_3.pdf

*20:NHKドラマ番組部 『朝ドラの55年』 NHK出版 2015年

*21:https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/pdf/20200130_3.pdf

*22:https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/pdf/20200130_3.pdf

*23:木俣冬 『みんなの朝ドラ』 講談社 2017年

*24:https://www.nhk.or.jp/css/report/

*25:NHKドラマ番組部 『朝ドラの55年』 NHK出版 2015年

*26:指南役 『「朝ドラ」一人勝ちの法則』 2017年 光文社

*27:林秀彦 『おテレビ様と日本人』2009年 成甲書房